生きる理由と死を迎え入れる条件。
小さくまとまりかけていた僕に気づいた。
僕はもっと死ぬ気でやらないとだめです。
最大でも残り60年ほど。
人間いつ死ぬかわかりませんし、後悔の無きように、常に全力で生きる。
少しでも多くの人たちに対して、気づかせることが、日本全体、
世界全体にとっても必要なことである。
そのために僕にできることがあるならば、
全力をかけて命を賭すつもりだ。
たかだが僕が生きていようが、死のうが世界には何の影響ももたらさない。
だからこそ全力を出す必要がある。
力が無いのならばそれを得るために最大の努力を。
そしてその力を正しく行使できるような人間になること。
あらゆる次元、階層においてトップクラスのものが求められるのならば、
それを追求するまでだ。
実現可能かどうかは問題じゃない。
破滅しようとぼろぼろになろうと、
この生命が砕け散るその一瞬まで僕は妥協も屈服もしない。
自らの信念に基づき、
愚直なまでにその道を一歩でも進んでから倒れる。
そしてその道が決して間違いではなかったことを、
信じながら意識を失っていく。
そこに誰がいようと、どんな状況であろうと気にしない。
僕は野ざらしにされようと、一人で去っていこうともそんなことは問題ではない。
『信念を曲げずに生きたか?』と自問する。
これが僕の生きる理由であり、死を迎え入れる際の絶対条件かつ納得条件である。
これが達成できるのなら、僕のなかではほかの細かなことの持つ意味は、さほど問題ではなくなり、色褪せ、意味を失っているはずだ。
真っ直ぐに、信念を曲げることなく生きること、これが全て。
以上、
22歳と5ヶ月の時点で考えたことの記録。
これからどんどん変化していくことを楽しみにしながら、
今日も祇園の街へと繰り出していく。
〔これじゃまるで芸者遊びでもしてるみたいだけど(笑)〕