色々考えた結果、少しやり方を変えることにした。
目的が明確になり、道筋がクリアになると、
様々な妥協も受け入れられるようになる。
そういう部分をすごく今は認識できている。
強がって、自我を貫き通すことが、
それが世界のためにならないのならば、
大いに妥協できるなーと、
今では素直に受け止めることができる。
自分のやり方に固執することがダメなのではなく、
自分のコアは維持しながらも、
世の中のことを考えて生きていくということ。
具体的な変化、やり方を変える部分については言及はしない。
ただ、すべて手段であるということ。
拘泥するべきことは結果、アウトプットだ。
自分のやりたいことをやる人生、
言いたいことを我慢しない人生もいいのだけど、
それよりも何よりも、
人々のために自分を変えていきたいと思う。
これは妥協ではなく、
決意を深化させたのかもしれない。
ただ、自分に都合のいいようなレトリックなんてするつもりはない。
自分がやりたいことがあるけど
本当に救いたい人、守りたい人、何とかしたい人がいる。
どっちが大事かというと、より後者になる。
そのためには、多少自分のやりたいことを押し留めても、
それは仕方ないと、割り切りたいと思う。
厳密に言うと、コアは何も変わらない。
引き続き何も変わらない。
ただ、世界に対しての表現、アプローチの仕方を変える。
意固地になっていた部分があったと思う。
6-7年ほど前の学生時代は、
まだそのあたりのバランスはとても良かったかなって今なら思える。
全力を振り絞ること、世界に対して全てをなるべくそのままに表出すること。
このメリットを信じ、追いかけてはいたものの、
やはり正直すぎると、デメリットも大きいということが分かった。
もっと言うと、分かってはいたものの、
このまま貫き通すつもりでいた。
それをやめるということ。
このままのやり方で、そのままでも僕は構わないし、その覚悟はあった。
今でもある。
ただ、残りわずかな人生において、
なるべく効率的かつ合理的に人生の時間を使う必要があり、
それを決めた。
何もできないこと、誰も救えないこと、守れないこと。
これが僕が最も後悔することだと、そう思ったから。
なので、しっかりと頑張りたいと思う。
頑張ることに変わりはない。向き合うことにも変わりはない。
僕は何も変わらない。ただ、少しやり方を変えるだけ。
必ずたどり着いてみせる。
絶対に一人きりになんてさせたりはしない。
そのために僕は、残りの生涯をかけると決めたんだから。
公明正大に、誠実に。
丸田勝也
2013年10月17日 AM3:08 @ディオゲネスの樽2代目から