意識することが出来る成長の伏線
ちょっと前やったチャリティーの様子です。大成功でした。
→http://plaza.rakuten.co.jp/kansaisea/diary/200611040000/
来年は僕は東京にいるので参加できるかはわかりませんが、
同じような企画が東京ディズニーランドでも行われているので
それには参加しようと思っています。
京都から東京にいって、東京から山梨にいってました。
飲み会、温泉、バーベキューなどすごく楽しかったです。
忙しい中でも敢えて非日常を作り出し、いろんな人たちと話すことは非常に学ぶことが多い。
やっぱうちの会社は天才肌の人ばかりです。
ほんとすごいなー、かっこいいなーって人ばかりです。
そして改めて思うことは、僕にはハングリーさや一生懸命さしかないということです。また、僕は真面目すぎます。
いつかもっと、『楽しく☆』『笑顔で☆』などエンターテイメント性をもっと
意識した人間になることが必要で、
最終的には、意識せずに実行できることが必要だと思っています。
そうじゃないとやっぱり限界があると。重すぎるし厳しすぎると…
だけど今の僕にはそれほどの余裕がありません。今は一生懸命に信じることをやっていくだけです。
しかしながらそれができない原因もわかっています。それは、『自信』がないからです。よって、あるコミュニティにおいては全くもって逆の僕がいます。
フラットな感じであほっぽくて勢いで大胆でスピーディーで…ってな感じの僕です。
それは、自分が引っ張る状況、あるいは相対的に管理する状態のコミュニティに存在した場合にこういう傾向になる。
僕は在るべき自分像と現在の自分の姿のギャップに日々思案しています。
それは良い意味で成長するためのやる気の源泉になっていますが、
必要の無い思考であって、もっと前を向いてやれば実務的な能力は
効率よく上がっていくのはわかっているんですが…
やはり人としての自分とか、自我とかにものすごく興味があるし、やっぱりやめることは出来ません。
楽しいとき、イラッとしたとき、ストレスを感じたとき…
自分がふと自然にわきあがる感情を常に分析しています。
僕は何を感じているのか、僕は何が悲しいのか、僕は何をしたとき感動するのか…
多角的にかつ、一時的な要因を排除し、より正しい原因と奥深くに確かに存在する深層心理というのかよくわかりませんが、そういう無意識的なものをなるべく意識下に置こうという努力をしているのだと思います。
こういったものは常に仮説、検証の繰り返しで、意識的なことなので検証するのも非常に難しく仮説ばかりが出来上がり、その処理が遅延しがちになり
行動にも影響を及ぼすこともあります。
しかしながらこういった行為を無為だとは思いませんし、もしこれを止めるくらいなら僕は生きている意味すらないと考えています。
それほどまでに自己をフィードバックすることは僕にとっては非常に大切なことでかけがいのない行為なのです。
ま、本題で言いたいのは、私にはまだ意識することの出来る成長の伸びしろがあるので頑張れるということです。
そういった伏線を日々実感として感じられるような環境に身を置くことが出来ているということが全てであり、こうした機会をあらゆる人たちに平等に付与していかなければならないんだと強く思って生きています。