『キレイゴト』を言うために今を生きている。
さて、働く場所を祇園から渋谷に移して2週間以上経過しました。
若干やつれた感があるようですが、元気に頑張って生きています(笑)
僕は僕みたいな人間がやっぱり好きだったりする。
優秀なタイプじゃなくて、無知でミスも多くよく怒られる。
それでも一生懸命悩んで、考えて、精一杯頑張る。
泥臭く、洗練さとはかけ離れている。
けど、一生懸命に頑張る姿が僕は好きだ。
僕はその姿勢を非難することはできない。
『それでいい、そのままがんばれ』って思う。
甘いのかもしれない。
だけど僕は、僕がチャンスを与えられ、今こうして生きている以上、
彼らの可能性を決め付けたり、現在価値で評価しようとは決して思わない。
時間軸での成長スピードは人それぞれ。
比例的に成長する人もいれば、放物線を描くような人も。
だけれども、大抵の場所で常に安定した成長、結果が求められる。
このことに僕は抗いはしない。
だけど僕は思う。結果を出すのは難しい。
だからこそ、結果を出すための過程をまず評価する。
やり方さえ間違えなければ、必ず結果は出るからだ。
あとは根気よくあきらめないこと。
そのために周りができることは、見守ってあげることだけ。
その過程さえしっかりしていれば、僕は何も言わない。
怠慢・傲慢・真剣さが感じられないときはもちろん対応する。
だけど、一生懸命がむしゃらにやっているなら何も言わない。
ひとつのことだけに価値を置いていちゃ、
たくさんの人を受け入れ、許容することはできない。
もっと大らかになることが必要で、
自分が部分的、局部的に生きているということを常に意識する視点が必要だ。
時空的に、歴史的に、地政学的な観点とかも。
時代や場所により、求められるものは異なる。
が、いつの時代でも変わらず人間として大切なことがある。
それは、誰もが幼稚園・小学生のときに教わること。
だけど次第にそれらを疎み、信じなくなる。
小さい子どもがわかるのに、
どうして大人になるにつれてわからなくなるんだろう。
人が荒んでいく原因はどこにあるんだろう。
とりあえず、ざっくり言うと、
やっぱ人は社会を常に意識して生きている環境的動物に過ぎない。
周りから付与された情報や教育により、人格・思想が形成される。
じゃ、環境をよくしなきゃいけない。
そのためにはどうするんだ?
一人の人間ができることがあるのか?
って考えると、
やっぱインターネットはすごいと思うのだ。
たくさんの可能性を秘めている。
まあネットの話は以前に何度かしているから割愛して話を戻す。
僕は一生懸命素直に頑張っている人が大好きだ。
特に何もない人間はがんばることしかできない。
それすら奪ってしまってはいけないと思う。
自分のことは本人が一番理解している。
だけど、できない。
それでもがむしゃらに一生懸命に専心する。
とりあえずは僕はそれでいいと思う。
僕は、一生懸命生きる人をサポートし、指針になりたいと思う。
ただ、僕個人にはこの意見は適応しない。
上記のようなキレイゴトを言えるように僕は
厳しい基準で地位を築く必要がある。
ゼロか100か。
『○(まる)』か『×(バツ)』か。
白か黒か。
イエスかノーか。
僕への評価はこんな感じのシンプルな2種類で十分だ。
守りたい、救いたいから
僕は強くならなきゃいけない。
イイタイコトはたくさんある。
まだまだ表出していないコトがたくさんある。
まだ僕にそれだけの器は備わっていないから。
いつの日か、『キレイゴト』を胸を張って言えるようになる!
そのために、今を生きている。