祖父について。やっぱり全部は書ききれないけれど。
この前、パスポートと免許証を取りに実家へ戻った。
ちょうどその日は祖父の3周忌だったらしい。
僕の祖父のことについては、ここではあまり書かない。
客観的な事実なんだけれど、やっぱり少々重いので、またおいおい。
軍艦島という島を知っているだろうか。
彼は人生において、その宿命の下、命を縮めた。
それは避けられない宿命であり、
その選択により僕がいるというのも論理的に整合している事実である。
僕は彼を思い起こすだけでどんなことでもやれる気がする。
彼が背負ったモノよりも僕はまだ何も命を賭けれてない。
それは時代が違うからかもしれないし、
美化されていることもわかる。
しかしそれでも僕は、彼の人生をたくさんの人に周知したいと思う。
教養とは、秀逸さとはいったい何なのだろう。
その大部分は環境に左右されるということは間違いない。
彼は自分の人生を何を思い、そして天寿を全うしたのだろうか。
別に僕の祖父が特別な存在ではない。
取るに足らないほとんどの人と同じ無名の存在だ。
もちろん僕もそうだ。
だから僕はそれにチャレンジするという使命がある。
人はほんと生まれる場所も環境も選択できないよね。
つくづく思う。
だけど、少しがんばって自信を持つことができると、
それで全てを変えられる。
この辺のことは、僕はずっと書いてきている。
おんなじことをずっとずっと書いている。
いっつも同じことを考えているからね。
だから意味の無いことではなくて、すごく意味のある反芻です。
自分の奥底の力と意義で戦い続けるということは、
その真実性と自分の弱さ、虚像と向き合う必要があるということ。
真正面から逃げないことはものすごく辛くたいへんなこと。
これからも孤独な戦いは続いてく。
祖父が大阪に出て、出稼ぎしていた頃の給与袋のいくつかが僕の手元にある。
祖母が大切に保管していたものから、僕が譲り受けた。
生徒からもらった手紙と同じくらい大切なものの一つ。
祖父から遺産や、知識などの普通の人がもらうようなものは
僕は一切もらっていない。
あげられるほど、祖父は遺すものが無かったし、
家の事情で、大した教育も受けられなかった。
しかし僕は祖父の儚くも美しい人生をいつも強く意識している。
世界中の人の悲しみや不幸を、
僕が全て集めることができればいいのに。
もちろん人だけじゃないけどね。
何とかできないことがすごく辛い。
長くなったので、そろそろ仕事に戻る。