さて、半身浴がおわった。 今からざっくりぼーっとして、寝る。 月曜結構きつい、久々に。ま、さくっとやるけど。 さて、現在の状況を少し振り返る...

2010年3月 26歳 社会人3年目終わりらへんの日記 2010年25%終わった振り返りを含む。

Update:2010-03-28 (日)
このエントリーをはてなブックマークに追加

さて、半身浴がおわった。
今からざっくりぼーっとして、寝る。
月曜結構きつい、久々に。ま、さくっとやるけど。
さて、現在の状況を少し振り返る。

その前に、過去22歳~25歳の頃の僕の日記を振り返る。

2010年も四半期が終わったからね。
25%終わりましたよーってことでの振り返りだ。

———————————————
■2006年3月 22歳 大学3年終わりらへん 京都に住んで一年ぐらいの日記
———————————————
【2006-03-28】 22歳当時のブログ。 
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1118876117&owner_id=897789

———————————————
■2007年3月 23歳 社会人目前、大学4年終わりらへんの日記
———————————————
ことばを捨てて一ヶ月 2007年03月23日22:52
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=382398710&owner_id=897789

———————————————
■2008年3月 24歳 社会人1年目終わりらへんの日記
———————————————
国の為 重きつとめを 果し得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき 2008年03月11日01:31
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=740794847&owner_id=897789

———————————————
■2009年3月 25歳 社会人2年目終わりらへんの日記
———————————————
【前半】2009年3月21日の記録_ダブルヘッダーのフットサルの描写を鮮明にしつつ、献血で400血を抜いて、寿司を食って、ツタヤでCDを借りて、帰った寝た記録は後半に。 2009年03月22日15:46

http://mixi.jp/list_diary.pl?year=2009&month=3&day=22

———————————————
■2010年3月 26歳 社会人3年目終わりらへんの日記
———————————————

僕は何もできていないことに改めて気付かされた。

むしろ、どんどん退化しているぐらいだ。

なぜこんなにも弱くなってしまったのだろうか?

それは全て自分自身の問題に過ぎない。こんなぬるい世界で生き続けてきた結果にすぎない。怠惰で慢性的な日々。ただほんの些細な快楽におぼれてしまっていただけ。

あの頃の強さをもっと意識せねば。

飢餓感と満たされていくバランスの狭間で、本当には遠のいていることにすら気付かず、
この4年を費やしてしまったんだろう。

無目的というよりも、目的はあった。

ただ、半ば盲目的になりすぎていたのか。
大人とか社会人とかそういうのじゃなく、僕は僕。何も変わらず今の命がある。

連続性の結果としての現在の自分。
どれだけの時を重ねても常に在るのは自覚的にいまを生きる自分だけ。

1秒前も一秒後の自分も自分が自分であるのかどうかなんてわからず、
ただ時の流れに自分を自覚しておくことの重要性を再認識。

何を失い、何を得たのか?
どこへいきたくて日々命を削り、そして今の生を演じてるんだろう?

僕の中での他者への共存的差分への自覚症状は完全に薄れ、分離されている。
これがこの1-2年非常に顕著。
これが少々厄介だったのかもしれない。

得たものは思い起こすことで数えてゆくことはできる。

ただ、失ったものは、失ったと自覚できていればまだいいけど、
失ったことすら自覚できない者を拾い集めることはもう永遠にできないんだろう。

落ち込んでいるわけではない。悩みもそれほど深刻なものはない。

ただ満たされない何かが常にまとわりついていて、何か一瞬でグロテスクな何かが
全身を駆け巡る。それはいったい何なのかなんてこと、よくわからない。

精神的ゆとりをえることを無意識の中で抗っているのかもしれない。
失いたくない今があるからこそ、僕は書き残すんだろう。自分の想いを。今を。
きっと僕は死ぬまで続けるんだろう。自分への想い。世界への想い。何を成し遂げるのか。

大きすぎる責任、使命は決して傲慢さから生じているものではないのか?
英雄主義的思考はそこにはないのか? 心からの思考、想いなのか?

日々浮かんでは消える浅はかな思考と向き合い、少しでもそこから何かを作りだし、
その生じる自分の感覚と向き合うことで少しでも自分の本性を暴くため、がむしゃらにただめぐり続ける。

悲観的な自分への弱さは既に乗り越えた感がある。

もう一歩先へ向かうためには、もっと学ばなければならない。自分自身も世界も。

その繰り返しを続けることで、少しでも磨いていくことで、少しはましな人間になっていきたいんだろう。

根幹は4年前から変わっていないはず。ただ、自覚しているのか否か、そして日々の営みの中でどれだけ自分をえぐり続けていられるのか。その深さが成長スピードを決めてるのかな。

少なくとも、自分への納得感は内奥に触れている時間がどれだけあるか。

満たされているか満たされていないかも、全て自分との闘いか。
去年の今頃はここでこうしていることなんて思ってもいなかった。
そして来年の今頃は僕はどこで何を思っているんだろう。

そしてこの日記をまた振り返る時、何を僕は思うんだろう。
成長した自分と未成熟な自分は、必ずしも時間的に正比例してくわけではない。

落ちる時もあると思う。

そしてそういった時のためにも、僕はこういう記録を書き残すのかもしれない。
未来の自分へのメッセージとして。

さて、あほほど長くなるのが僕の特徴なのでこのへんで終わるか。

2010年3月28日 丸田勝也 in 大崎にて

丸田勝也 公明正大に、誠実に。
あなたの考えを聞かせて下さい
このエントリーをはてなブックマークに追加
blog comments powered by Disqus

Return to page top