私は世界一にならなくても、 世界が平和に、私のような経験をする 子どもを無くせたらそれでいい。 ずっと卑屈な17年間を過ごし、 大学時代もスポ...

久しぶりに自己の原点を書いてみた。これが丸田勝也の根幹であって、原点であって生きる意味であり全てである。

Update:2007-04-30 (月)
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私は世界一にならなくても、
世界が平和に、私のような経験をする
子どもを無くせたらそれでいい。

ずっと卑屈な17年間を過ごし、
大学時代もスポットライトを
浴びることなく、ただただ生徒のために
費やしていた。

現在でも卑屈でネガティブで全然ダメな人間です。
しかし、私には私にしか出来ないことがあります。

私は教育に身を捧げます。
本当に歪んでいる人間、劣悪な環境で育った人間は、
キャリアの話、違う世界からの言葉には、
はっきり言って聞く耳を持たないのです。

持たないというより、持てないのです。

『子どもは親も環境も選べない』

これが私の持論です。

私は17歳のとき、『やればできる』ということに
気づくことが出来ました。

しかしながら、ほとんどの子どもは自分の環境や
親に影響を受け、制限下の下でしか成長できないのです。

かっこよくなくても、有名じゃなくても、
ただ私のような子どもを世界中からなくしたい。
それが私の希望ですし、生きる意味です。

私はもう十分幸せですし、何も要りません。
残りの人生は私にしか出来ないモノを与え続けたい
と考えています。

それが、今の会社でできるのか、起業するのか、
友人とおこなうのか、NPOか、政治か、
学校かは問題ではありません。

それらはあくまで手段でありゴールでは無いのです。

これが達成されるのなら、私は今死んでも本望です。

稲盛和夫氏、松下幸之助氏を超える、真の教育機関、
制度、仕組みを作ります。

優秀な人間を養う機関ではなく、

見捨てられた人間、
期待すらされていない人間、
その結果やる気すらない人間、

このような人間を、私がそうであったからこそ、
私自身が変えなくてはならないのです。
それが私の宿命であり、私にしか出来ないことです。

私がこの世を去っても回り続ける仕組みを作る
必要がありますが、私には長くてあと60年しか
ありません。

そして、人一人が出来ることは高が知れています。
これは紛れも無い事実です。
だからこそ、人を動かせるような人間になる必要
があるのです。

教育に関する想いなら誰にも負ける気がしません。
腕を失おうと、目を失おうと、残り三ヶ月の人生だと
宣告されようと、私にとって大したことではありません。

私は私のような人間をもう二度と作り出したくは無いのです。
この想いは私のあらゆる欲や希望を遥かに凌駕しています。

その一心だけで私は生きていますし、これがある限り、
わたしは全くもって負ける気がしません。

私は負けませんし、挫折もしません。
私の負け、挫折は私の死を意味します。
生き続ける限り、私は自分の信念を絶対に曲げません。

私の希望が叶うのなら、私はこの世にいなくてもいい。

私という個の生存なんて社会全体の幸福と比較すると、
限りなく無価値に過ぎない。

だから死ぬまでがんばってやる。

丸田勝也 公明正大に、誠実に。
あなたの考えを聞かせて下さい
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