1年半近くいたアルバイトさんがもうすぐ卒業。
テレビを見ていて、フリースクールというものを調べようと思った。
これが僕のやりたいことに少し近いかも。
どうも、とかくこの時代は、精神が崩壊したり弱まったりする人間が多いな。
でも仕方無いというか、むしろこれが健全だと思う。
こんな世の中で普通に暮らしている神経の方が異常をきたしていると思うよ僕は。
正直者や真面目なものが生きづらい世の中というのは、荒んだ感じがするなー。
さて、嬉しいメールをもらいました。
いっつも一緒に仕事をしている子なんだけど、
現在就職活動中で、
アルバイトとして僕のフォローもしてくれているのですが、
内定が出たようです。
今日、●●から内定をいただきました。
ようやく一社です。●●も先日、6次選考が終りました。
今、こうして自分がいるのも丸田さんをはじめとする、●●の皆さんがいたからだと本当に思っています。
特に本当に丸田さんにはお世話になりました。
いつか必ず丸田さんをあっと驚かせるような人間になって、目の前に立っていたいと思っています。
本当にありがとうございます。一緒に働かせていただくのも残りわずかとなりましたが、
残りの時間も精一杯引き継ぎ資料の作成、マニュアルの整備など、頑張りますのでよろしくお願い致します。
うん、本当にうれしい。
僕は全人類、全生命体が僕を超えてく感じで、
どんどん良い感じであれば、非常に満足。本望。
僕が最低限の人間になれば、
本当に良い世の中になる可能性が広がると思う。
その一心で僕は世界に触れている。
誰かの上に立ちたいとか、称賛を得たいとかではなく、
全員が僕を超えていくことが、僕にとっての幸せだ。
年齢は関係ない。
知識の多寡も本質ではない。
今この瞬間のステータスが一生を決めるわけでもない。
ただ、『健全な焦り』というもんは、ある一定程度は必要だと思う。
それらがなく、下限もなく、上限が低いとぐだぐだになってしまうから。
おそらく僕の中での潜在意識での答えは、顕在的には認識できていなくて、
自意識では具現化できていない状態が、『違和感』となっているのだと思う。
ある特定の苛立ちは、それだけの伸びしろがあるということ。
そう思うようにしている。最近は特に。
なので、自分の一瞬の苛立ちや不満等は、
まだまだ僕が不完全かつ、
未成熟な人間であることの証なので、
確実に自覚し、メモを取るようにしている。
これらを決して放置プレイせずに、
いつか来る時のための訓練項目、確認項目として
自分のために残しておく、
そういった行為を最近は意識して行っているかも。
ふう、26歳になった自分というのは、
こうも錆びついたものかと思ってしまう。
21歳の時のギラギラした純真な僕は、
いびつながらもただ毎日を必死に生きていた。
だが今はどうかな。
腐ってはいないが、当時のような輝きはそれほどない。
やっぱりおっさんになったという事実が、
果てしなくでかいのかも。
もう3年か。
傷は癒えたわけでなく、ただ記憶が薄れただけ。
ただこう振り返り続けることを飽きることなく繰り返すのは、なんの成長もない証だろうか。
自由になりたい、一人になりたい。
そう思うたびに、今の重りを全て解き放った自分を意識する。
まだまだ何の力も出していない。
僕が自由に生きることができるのはいつだろうか。
楽しみにし続ける。
その日と、その結果と、結果を生み出す過程全てを。