30歳と29日目。
オフィスにいます。
今朝は大量で煮物を作ったり、網戸を直したり、
掃除をしたり、いろいろと捗りました。
この3連休はゆっくりとしていました。
昨日は一日中部屋から出ず、お金は一円も使いませんでした。
寝たりゆっくりとできて、とても幸せでした。
さて、先ほども言ったけれど、現在はオフィスにいいます。
誰もいないオフィス。途中で一瞬社長が来たりもしつつ、
集中して作業ができています。懐かしい時代を思い出します。
今月もなかなかヘビーでした。
初めての確定申告、運転免許証の更新、その他色々と、
何か非常に疲れている日常です。
とはいえ、何となく清々しい気分です。
昨日は母親と電話しました。
彼女は、やはり僕の絶対的な味方なんだと、改めて思いました。
少し心配というか不安、怖いところもあったのですが、
やっぱり親なんだなーと、僕を信じてくれているんだなーと。
最近もまたいろんなことがありました。
夏目漱石とか芥川龍之介、太宰治とか、やっぱり彼らは美しい、そう思います。
尾崎豊も吉田松陰も三島由紀夫もです。
自分の人生を貫くことの美しさは、
他の誰かがとやかく言う問題ではないと思います。
僕は自分を信じてる。自分のことは好きではなく、劣等感や嫌悪感ばかりだけど、
ま、それはさておき、自分のことは信じているし、周りが心配するほどではなく、
むしろ僕なりに懸命に生きているんだから、
この僕の人生を、外野はほっとけばいい。自分の人生に集中すべきだって言いたい。
少し最近考え方が変わったのは、
僕自身いつ死んでもいいと思っていたけれど、
最近ではずっとなるべく長く生きていたいと思うようになっている。
だって死ねば、できないからね。生きていないとやれない。
だから生きないといけない。そういう風に最近では30歳を迎えて、
思うようになってきている。姑息に生きるという意味ではなくね。
なかなか誰も僕の気持ちを尊重はしてくれないなあと、そうも感じる。
わからないのだなあと。だるくてイライラしたけれど、ま、仕方ない。
誰もわからないのだから。家族や仲間がいる。だからだいじょうぶ。
願わくば、この僕の戦いが終わったらゆっくり田舎で暮らしたい。
ザリガニとかタニシがいて、田園風景が広がる小さな集落で。
子どもに勉強教えたり、遊んだり散歩したり、
おじいちゃんやおばあちゃんの肩たたきしながら昔の話を聞いたり、
一緒に農作業して、ご飯作って、そんな生活をしたいなあ。
とはいえ、多分死ぬまで戦いは終わらない。人生は短いから。
なので、次に生まれ変わった時かなーとは思うのだけど、
きっと次に生まれ変わっても、また同じ人生を僕は選ぶと思う。
その時の世界の課題は何なのかによるけれどね。
みんな僕に言う言葉は同じだった。
でもそれは、とても残酷なことだと僕は思った。
でも彼らからすればそれは違う。
僕は何度も信じ、許し、傷つき、それを繰り返してばかりいる。
憎しみや怒りをなくすには、一人でいること、
その時間を増やすことしかないんだよ。誰でもなく自分と向き合うしかない。
僕が毎日死にたい気持ちにもなりながら、
辛く苦しくとも、そんなことは自己責任だと、お前が悪いと言われるだけ。
言われるだけならまだいい。言われ続けるばかり。
そんなの分かっているし、否定なんかしてもいないのにね。
だから人は、死ぬんだと思う。よく分かるよ。
別に優しくしてほしいわけではないし、
お前は悪くないと言ってほしいわけでもないよ。
頭ごなしに、人の話を全部聞きもせず、人を見下して言ってくることが、
どれだけその人間を追い詰めてしまうか。そういうことを少しは考えてほしい。
僕には家族も仲間もいるから死なないけれど。きっと死ぬ人も多い。
無理解、理解が足りないことが、この世界の悲しみや苦しみを増幅させていると思う。
だから僕は自分の考えや想いを、誰かに押し付けたりはしない。
僕はこう考えるけど、ぐらいにしておく。
積極的に意見やアドバイスを求められても、だ。
あくまでも参考程度として、って感じに押し留めておく。
だって、人生観もこれまでの人生もまったく違うわけだからね。最後は自分自身だよ。
相手が悪いのではなく、自分が悪い。そう考えることが大切。
そして、死にたくなるような人と、ともに過ごすことなんてないんだよ。
人生は短い。愛する人、大切な人と過ごすことがすべて。我慢なんてしなくていい。
嫌いな人のそばにいてはいけない。自分の人生を生きること。それをまずしたらいい。
自分がもし生活力がなく、1人で自立できないならば、耐えること。
生き永らえることに集中すること。人生を諦める必要なんてない。
どれだけ理不尽な仕打ちを受けても、我慢するしかない。
イライラせず、リフレッシュしながら、邪悪な思考にならないことが大切。
思考と行動、人生はすべてリンクしてる。
いつだったかな、先日、いろいろと懐かしい思い出に触れた。
その時の自分を誰も知らず、自分の真っ直ぐさや一生懸命さを、僕は誇りに思う。
嘘偽りもなく、それに間違いはなかったと思う。
ただ、世界はそんなに美しくハッピーエンドとはならない。
そういうもんなんだよね、世界は。
最近はすごく酷いことばかり言われる。
僕が死ねば、少しは僕の深刻さや一生懸命さを理解はしてくれるのかなあと思うぐらい、
甘いとか逃げていると言われる。
僕はまったく理解できない。命を大切に、人生を大切にしてないのだなあと。
死ぬし、それでいいんだと。世間体ばかりなんだよねみんな。
僕や僕の家族をバカにして、自分のことばかり。とても悲しい。
なぜ人は、人を傷つけ、攻撃するのだろうか。
僕には理解できない。人に求めすぎだよ。
自分の言葉に責任を持たず、何にもできないし、
これからも僕を必要としているのに、なぜ追い詰めることばかりするんだろうなあ。
不思議だよ。
だから人は死ぬ。死ななくても、心を病んでいく。
僕にはそれすら許されない。理解されないこと、
優しくされないことが辛いのではなく、
偉そうに知ったように言われることが、とても残念。
価値観など違うのだから、自分の考えを押し付けなくていいのに。
だから世界は荒れてしまう。
あと2〜3年でいいなあと思う。
なかなかもたない。
こんだけしんどくて生きているのも、
だいぶ集中してるから。それでもかなりボロボロ。
まったくあと30年40年ももつイメージがない。
僕には18年の貯金があるから生きていられるんだと思う。
あの地獄の日々がエネルギーという皮肉。
勘違いや誤解をすることは構わないと思う。
だけど、積極的に誰かを攻撃する必要なんてないよ。
自分の弱さから、自己顕示欲や愚かさから、
自己の肯定のために、防衛のために、他の誰かを傷つけていいことにはならないんだよ。
僕はなるべく誰とも関わらないようにして生きてる。
僕は周りの人を傷つけてしまうし、何かしてあげることが困難だから。
彼らよりも、誰もいなくて、死にたいと毎日思いながら生きてる人に、
僕はこの人生を使いたい。
だからこんな僕をほっておいてくれる家族や仲間には感謝しかない。
心の支えだよ。