4日(7月4日ではないことは明確だけど、いったんはこのまま。)
9時ごろ起きた。
最近は何時に寝てもこの時間には起きるようになってる。
で、たまってた日経新聞を二時間半ほどで整理。
整理って具体的に何してるかって言うと、
○現状の日本や各会社の問題点の思考
○読みたい本のリストアップ
○著名人の生き方(経験)、考え方を知る これにより、現状の課題へのアプローチやそのヒントになる
○ より深く調ベたい記事やキーワードを切り抜いたり、メモしておく。
企業誘致に関する政務調査をする為、
『○○議員が委員会で報告する用』 その参考資料を探す。
海外の事例や各地方自治体の取り組みなど。
少子化とかも一応やってる。基本的に経済記事は全般目を通し、
思想系は深く自己に落とし込む。
自分ならどう書くか、どう考えるかなどを考える。
あんまり良い悪い、好きか嫌いかで判断しない。
無意味だから。
誰がどう思おうが、どう生きようがどう書こうがその人の自由。
まして、僕に実害があるわけでもない。
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『インプットをマルチに許容、対応でき、
そしてそれらを自己の中で昇華したアウトプットにできること。』
小学生のときにやった「せんせいあのね、」的文章法だと、こうなるか。
『ぼくはおおきくなったら、いろんなひとやかんがえをいっぱいベんきょうして、りっぱなひとになりたいとおもいます。 まるた かつや』
====こっから下が2006年7月1日の記録==============
7月1日9:30起床
10:00大学へ
会場設営等の準備
印刷。プリンタの不具合で少々大変だった。
中国からの留学生の友人と久々に再会。
いろいろと話す。
1年目は東京。
2年目はアメリカ。
3年目はアジアのどこかちょっと忘れたが、派遣が決まっている。(香港か韓国?)
有名企業ではないが、さすが。
語学が出来る上に、PCスキルもある。
もちろん真面目だし。
彼とはまた何か出来るかもしれないと思ったので名刺を渡しておいた。
今後が楽しみだ☆
イベント開始。
途中で1時間ほど2回抜ける。1回は昼食。(そのとき予備校時代の、法学部の友人と会う。一緒に就職活動などの話をした。)
2回目は家へ。シャワーを浴びに。
ついでに印刷もした。
16:40ごろ大学へ到着。
印刷物を届け、何とか無事終了した。
規模はかなり小さくなったが大きな問題もなくやれて良かった。
事務所の後輩が参加してくれた☆すごいうれしかった☆
17時半ごろ新町キャンパスを出る。
そして18時から深夜4時前まで祇園。
この日はさすがに疲れた。
でも精一杯やる。
僕は四の五の言うてる暇は無く、やるしかないから。
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僕は誰よりも自戒・自省には自信がある。
それによりストイックに自己を追い詰めることが出来る。
毎日反省しているし失敗している。
誰よりもそういう認識があるからこそ、僕は成長できているのだろう。
これも僕の思考内の考えであり、絶対的なことじゃない。
傲慢になると自己を正しく認識できなくなる。
すると周りが気になり、成長を阻害するようになる。
『誠実に、一生懸命に。嘘偽り無く正しく真面目に。』
出来ることを精一杯、そして出来ることを増やしていく。
その繰り返しが『成長』。もっともっとやってく。
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かわいい後輩が増えてきた。
彼らのためにも正しくまっすぐに生きて、結果を出す必要がある。
彼らが迷うことなく、自分の思うように生きられるように、僕はもっと強くなる。
僕は後輩の相談や話を否定することは無い。
それが本気であるかどうかや真意を確認はするけれど、
僕の考えや意見は押し付けない。
自分で考えなくては何も意味が無いからだ。
その結果の失敗は失敗ではなく、進歩のひとつの形でしかない。
もっとも大切なのは、自分はどうなのか、ということ。
これに尽きる。
僕がどうこう言う権利は一切無い。
なので、僕に色々聞いてきてくれても、ほとんどの人は自分で答えを見つけて帰っていくんで僕は何もやりません。
僕は自分の経験しか知りません。語ることはできません。
その中での考えは提供しますが強制はしません。
みんな自力で切り開いていきます。
ほんとがんばってほしい。
失敗するし挫折もする。
でもそれでいいと思う。
それらを恐れていると何も出来ない。
萎縮してしまう。
今はどれだけ失敗・挫折を重ねるかだと思う。
それによってこれからの人生の方向性や深みが変わってくる。
恐れず前へ。
失敗は人生の礎となるのだから。
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小さくまとまりかけていた僕に気づいた。
僕はもっと死ぬ気でやらないとだめです。最大でも残り60年ほど。
人間いつ死ぬかわかりませんし、後悔の無きように、常に全力で生きる。
少しでも多くの人たちを気づかせることが、日本全体、世界全体にとっても必要なことである。
世界のために僕にできることがあるならば、命を賭し、全力を捧げるつもりだ。
たかだが僕が生きていようが、死のうが世界には何の影響も及ぼさない。
だからこそ全力を出す必要がある。
力が無いのならばそれを得るために最大の努力を。
そしてその力を正しく行使できるような人間になること。
あらゆる次元、階層においてトップクラスのものが求められるのならば、それを追求するまでだ。
実現可能かどうかは問題じゃない。
破滅しようとぼろぼろになろうと、この生命が砕け散るその一瞬まで僕は妥協も屈服もしない。
自らの信念に基づき、愚直なまでにその道を一歩でも進んでから倒れる。
そしてその道が決して間違いではなかったことを、信じながら死んでいく。
これが僕の生きる意味であり、生き方だ。
死を傍らに置きながら生きること。
それがもっとも後悔せず、俯瞰的視野をもち、大局的判断を下せるようになるはずである。
高い論理性、判断性をもち、関係性の把握に長けながらも、高尚な理念をもちながら、あるいはそのために死んでいく。
これこそ僕が求める死に方だ。
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